誰かに甘える時間をつくる。おすすめの甘える相手は…
子どもに甘えられるのが苦手な親は、意外に多い気がします。
普段は苦手ではなくても、時と場合によって、
「くっつかれても無理!!」
「ちょっと今は甘えられたくない!」
って気分になることだったら、あなたにもあるかもしれません。
そんな時、
考えてみて欲しいのは、
「ちょっと待って。私、最近、誰かに甘えられてるかな?」
ということ。
あなたは、甘える時間を持てていますか?
それは、誰との時間ですか?
大人になって、甘えるなんてと思うかもしれないけれど、
「甘える」をしようとすると、実は相当ハードルが高い人もいます。
「甘える」は、自分の弱みを見せること。
イメージとしては、
犬が、お腹(弱い部分)を見せて、
「ねえねえ、私って可愛いよね? 撫でてくれる?
私を可愛がって! 慰めて!」
と、すり寄って行くような感じ。
あなたには、
できますか?
「自分の価値を落とすような気がする」
「プライドが邪魔してできない」
「そんなに卑屈になるくらいなら、一人でなんとかする」
「相手に断られたらショックだからしない」
という気分になるあなたは
いつも、格好良く、素敵な自分でいようとするのかも。
弱い部分を見せないようにしているのかも。
相手からは、攻撃されるかもしれないと思っているかも。
そして、
無防備な自分、弱い自分を
愛してもらえるのかを、無意識にひどく心配しているのではないですか?
もし、あなたが
誰かに「甘える」ができているとしたら、
あなたは
自分の弱い部分があることを認められています。
その人が、自分の格好悪い部分を知っても嫌いにならないと知っています。
その弱みにつけこんで攻撃されないことも知っています。
ダメダメの部分を持つ自分を、それでも<好き>と言ってくれる、
と信じられているのです。
それって、すごいことなのです。
だから、
もし、あなたが、子どもから、甘えられているとしたら、
あなたは、絶対的な信頼を子どもとの間につくれているってこと。
あなたが、「この人になら、甘えて泣けるな」とイメージできる人がいたら、
あなたには、信頼をおける人がいるということです。
大人になったからといって、
私たちの中身は完全に大人というわけではありません。
なんでも頑張っている私たち。
一人でやり遂げようとする私たち。
たまには、
力を抜いて、
誰かの庇護の下で、身体をゆるめ、
頑張りをねぎらってもらう時間が、
どんな人にも必要です。
あなたをねぎらってくれる人は誰ですか?
大切な友人?
パートナー?
甘え先のおすすめは、こんな方々…
- パートナー
パートナーは甘える存在として
肉体的にも、精神的にも、一番頼れる相手でもあるし、
頼ることで、二人のパートナーシップも深まります。
(どんな風に甘えるのがおすすめなのかは、また別に書きます)
お互いに、疲れ切った時、弱った時は、
甘え、甘えられる関係をつくる努力を普段から心がけておくと
困ったときは味方でいてもらえるという信頼が育ちます。
甘えてもらえるのは、
信頼されている証でもあるので、
基本的に、頼られて嬉しい性質を持っている〈男性〉(もしくは女性の中の男性性)は喜びます。
素直に喜べない人はもしかしたら、その人の課題で、なんらかの傷を持っている可能性もありますから、
それが「私に価値がないからだ」という思いに駆られても、それは真実ではないことなのだと知っておきましょう。
- 子ども
日常では、
子どもに甘える、というのも、おすすめです。
期間限定の数時間(というか数分)、
大人が大人の役割をお休みして、
周りにいる信頼のできる人間(この場合子ども)に助けを求めることは、
子どもにとって、とても嬉しい時間となります。
(これも、どんな風に甘えるのかは別に書きますね)
子どもたちは、大好きな親が、自分に弱みを見せて甘えてくれることで、
<自分が信頼されていること>
<親も弱い部分を持った人間であること>
<自分も弱い部分を持っていていいということ>
を、学ぶことができます。
ただし、注意があります。
それは、あくまでも、【期間限定】にすること。
親子逆転の親が子どもに甘えっぱなしの関係は、
子どもにとって負担となり、
子どもの中に<満たされない想い>をつくってしまうことになるので、
あくまで、これは臨時的な関係にしなければなりません。
- 信頼のできる友人
パートナーより、友人の方が、ずっとずっと頼りやすい…というという人も多くいるのではないでしょうか。
けれど、本当に甘えられる友人となると、かなり限られるはずです。
あなたの愚痴を聞いても内密にしてくれて、
あなたが思わず感情を出してしまっても、そっとそばにいてくれて
あなた自身の内なる力を信じ、甘える時間を提供してくれる友人というのは
めったにお目にかかれません。
もし、そうした相手がいるというなら、
友人を超えた仲間のような存在かもしれませんね。
けれど、人生においては、そうした、本当に信頼のおける友人(仲間)をもつことが
素晴らしい助けになるので、
お互いに助け合える人間関係をつくる努力(そうした関係をイメージして願うことや、ご縁を大事にしたり、人との関わりを面倒くさがらないことなど)は日頃からしておくのがいいと思います。
そんな出会いは、絶対にやってきます。
- かみさま(または、かみさまのようなもの)
かみさまに甘えることができる人は、かなりの上級者です。
かみさまへの深い信頼が必要となるから。
その、大いなるものの流れが自分にとって必要なのだと理解が必要となりますし、
そこに向かって恨みがある状態では難しいから。
また、
「甘える」ときには、物理的に、<体温>があると、
肉体レベルのゆるみから精神レベルの癒しにつながりやすいのだけれど、
肉体の無いかみさま(のようなもの)へ甘えるとなると、
心の澱(おり)を宇宙に向かって委ね預けるような作業になってきます。
自分の<受信アンテナ>がうまくはたらいていないと、
なかなか孤独な会話になりがちなのはご想像の通りです。
ただ、これがある程度できるようになると、
日々の課題を一人(と、かみさま)で、乗り越えることが可能になってきますの
で
自分の時間さえ見つけられれば、
いつでも甘えた後の至福感が手に入るというわけです。
素敵です。
私はドカンと大きな課題がやってくると、
やっぱり人の優しさが大きな助けになるので、
自分で取り組める限界を感じると、
一人で乗り越えることを諦めて、
助けを求めます。
助けを求めるって、甘えてないとできなくて、
やっぱり「この人ならきっと甘えさせてくれる」と確信できる人に
お願いしたりしていますね、よく考えると。
何歳になっても、
エネルギーが枯渇するタイミングで甘えることは
私たちの心と身体を充電させ
自分を取り戻すのを応援してくれます。
甘える
は
委ねてみること
でもあります。
もう、
一人で進まなくてもいい。
助けを得ながらなら、
いつの間にかまた、
進む勇気が湧いている自分に出会えます。